平安大教会の歴史

教祖の教えが先ず大和国(奈良県)に広がる中、平群郡内でもいち早く伝わっており、平安の道の流れは、大きく2つに分かれている。1つは、安堵村の飯田岩次郎と、もう1つは、東若井村の松尾市兵衞である。

文久3年(1863年)に教祖は、安堵村の飯田岩次郎( 6才)のおたすけに足を運ばれ、7~8日間滞在された。その折りに、教祖より「水のさづけ」 を授けられ、明治9年に岩次郎が19才で再び大病を患った時にも、教祖の元で手厚いお世話どりを受けて助かり、やがて、この地方の信仰の中心となった。

東若井村の松尾市兵衞は、妻はるが、慶応元年(1865年)に3番目の女児出産後の肥立ちが悪く、4ヶ月目には瀕死の状態になっていた折りに、 行商人より 「丹波市の庄屋敷におみきさんと言う産神様がおられ、どんな難産でも不思議と助かる」と聞いた市兵衞は、藁をもすがる思いで庄屋敷に向かい、たすけを願った。

お目通り頂いた教組は、「よう来た、 あんたここへ熱を引っ張ってきたようなものや。 帰ってみぃ、熱は下がっているで。 心配せんでもええ、直きに治る」との言葉と共に、はったい粉の御供を頂戴し、 お言葉通りに全快のご守護を頂いた。

18日後の慶応2年(1866年)5月22日 に、夫婦揃うて初めて教祖の元に訪れ、入信した。後に龍田周辺の縁者、田中与助と大東重兵衛らと共に信仰する者も現れ、教線が伸展していった。

このように両氏の入信の経緯はそれぞれ別であるが、講社結成を本部に願い出たときに、「地域も近く、信者も入り込んでいるので一緒に講を結べばどうか」と話があり、

明治14年(1881年)1月15日に「積善講」を結成し、その後明治25年(1892年)3月26日の支教会結成を機に、名称を平群郡の「平」、安堵村の「安」で「平安」に改称して、現在に至っている。

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平安大教会 略史

明治14年 1月15日

「積善講」結成 講元 飯田岩次郎、副講元 松尾與藏

明治25年 3月26日

「平安支教会」のお許し 飯田岩次郎 初代会長就任

明治26年 2月10日

平安支教会新築願(神殿普請)のお許し

明治29年 3月 6日

平安支教会開莚式 生駒郡安堵町大字東安堵1461

明治30年11月29日

板倉槌三郎本部員 2代会長就任